昭和42年 鹿児島合気会に入門
昭和51年 万生館合氣道に再入門
平成5年 万生館合氣道 七段 師範
平成7年 地元大手商社退社
万生館合氣道の重富道場長として指導を実施
平成18年 志半ばにして他界される
合気道の専門家として活動し、平成15年にプロとしての合気道家を目指し、楽して相手を崩す目標を持ち 「笑う、遊ぶ、楽する」合気道を実践。
時間を掛けずに触れたら崩せる技を研究し、技を創出する稽古法を開発、感覚的な稽古を中心に呼吸力の研究に没頭。
弟子が同じ技を出来る様な稽古法を行う。
東京や海外でも合気道の稽古会を開催していました。
(以下、過去のHPより そのまま抜粋)
私は砂泊先生の事を「化物」と云って居ます。よく考えて下さい。普通80才を越える年寄りが20年以上稽古を続けて来た、各地の代表者、責任者、道場長、がマジで掛って行って全員が投げられる光景を。これを化物と云わず何と表現するか
(ちなみに、私は砂泊先生に直接『先生は化物ですね』と云って居ますので悪口ではありません)
何故そういう事が出来るのか? 植芝盛平翁のあり方を探究し続けて、相手との一体化を体現した時に、相手との接触点と結ぶと云う事が、力対力では無い、力を抜くという従来の合気道とは全く逆の発想が出て来た時に、呼吸力の原点が出て来たと思われます。
私が最初に入門したのは昭和42年で、合気会に入門しました。
当時は教えてもらう先生方は、非常に恐いイメージがありました。
無茶苦茶痛められながら道場に通い、稽古しました。
そこに砂泊先生が出張稽古に来られる事があり、先生の先生はもっと恐いと云うイメージがあり、稽古には行きませんでした。
そして1年半位で合気道をいったんやめました。
しかし縁と云うものは不思議なもので、砂泊先生の万生館合氣道に昭和51年に再度入門する事になりました。
万生館合氣道の独自の呼吸力を探究し続ける事20数年、何とか形が出来上がって来たかと思うこの頃です。
私のやり方は砂泊先生のとは少し違う、皆は永井流と云ってます。それでいいと私は思います。植芝盛平翁も砂泊先生も形ではない、動けばそこに技が出て来て、生成発展するのが合気道であると。
合気道道重富道場は、道場長であった故永井綜一師が昭和63年8月より地区の公民館を借りて、有志数人で稽古をやっており、そこに地区の人が集まり道場としての活動が始まりました。
ここをベースとして平成9年6月に50畳の道場を建てて稽古を始め、霧島市の国分武道館と当道場の2ヶ所にて指導をしていました。
しかし、師が病に倒れ、この世を去られてからは、弟子である現道場長らが師の教えを引き継ぎ、現在に至っております。
道場では、永井師の教えをベースとして、呼吸力の稽古を中心として、相手との和合を目的に相手と一体となって、そこに一つの技を造り出す事を学んでおります。
令和6年11月の予定
姶良市 重富道場
火曜日
午後6時00分から午後 7時30分
午後7時30分から午後 9時00分
木曜日
午後7時00分から午後 8時30分
午後8時30分から午後10時00分
金曜日(基礎コース)
午後7時00分から午後 8時30分
午後8時30分から午後10時00分
土曜日(剣術コース)
午後6時00分から午後 7時30分
午後7時30分から午後 9時00分
日曜日(不定期)
午前9時00分から12時まで
上記以外に稽古日を振り替えることもあります。
稽古は、各個人の都合で、途中参加•途中早退も自由です。
霧島市 国分武道館
金曜日 午後6時30分〜午後9時30分まで
(現在は休止中)
さつま町 厳翼館武道館
不定期
(北薩方面の門人が増えたため、不定期に稽古しています)
合気道重富道場は鹿児島県姶良市にあります。
霧島市や鹿児島市からも稽古に来られています。
場所は鹿児島市(中心部)から国道10号線を通って車で約20分、日豊本線鹿児島駅より重富駅まで 約15分、重富駅から徒歩では5分です。
スーパーセンターニシムタ姶良店の裏側に位置します。
道場は地区唯一の合気道の専門道場です。
駐車場もありますので、車の方も大丈夫です。
また、霧島市国分武道館での稽古も不定期で実施しています。
稽古の体験は無料です。